宝塚歌劇団に入団し、その同期には萬あきら、女優の麻実れい、東千晃らがいおり、「夏川るみ」の名でデビューしますが、初舞台を踏んだだけで、その後すぐに退団します。
これは小柳ルミ子さん自身が、最初から芸能界デビューというのが頭の中にあり、そのための下準備が宝塚歌劇団だったためです。
これが小柳ルミ子さんの画像になります。
その後、ナベプロこと渡辺プロダクション(現ワタナベエンターテインメント)に所属して、まずは、NHK連続テレビ小説『虹』にて女優デビューしたあと、「わたしの城下町」で歌手デビューを果たします。
そしてこの「わたしの城下町」はデビュー曲としては脅威の売り上げを記録して、そのセールスはオリコンによると160万枚です。
絶対的なアイドルとしての地位を確立したたために、渡辺プロダクション(ナベプロ)は初代3人娘の「中尾ミエ・伊東ゆかり・園まり」に続いて、「南沙織・天地真理・小柳ルミ子」で1970年代の3人娘として大々的に売り出します。
■■小柳ルミ子コレクション■■ちなみに余談になりますが、ホリプロ創業者の堀威夫氏は、ホリプロ3人娘として「森昌子・石川さゆり・桜田淳子」で売りだそうと画策しましたが、桜田淳子さんがサンミュージックに所属したために、構想のみで頓挫します。
しかし桜田淳子さんの代わりに山口百恵さんを獲得して、しかしこの山口百恵さんが1970年代を代表するトップアイドルとして、君臨することとなります。
話を元に戻します。
小柳ルミ子さんはナベプロから独立に際して、トラブルがありましたが、ダンサーだった大澄賢也さんと結婚することで、夫婦仲良くダンスを中心としたショーを行うことで、世間からは「おしどり夫婦」として認知され、その後も順調に芸能活動を行う。
しかし13歳も年下の上、当時は無名ダンサーであった大澄賢也さんにしてみれば「結婚は単なる売名行為」だったとして、2000年に離婚。
離婚の際に
1 再び無名のダンサーになり、一生懸命に踊る
2 1の条件が飲めないなら、高額の慰謝料を払い続ける
の条件を突きつけられましたが、大澄賢也さんは慰謝料を払い続けるという選択をしました。
2002年に小柳ルミ子さんは
歌手として歌う時の名前は rumico
女優として演技する時には 小柳ルミ子
とすることで使い分けをしています。
シングルリリース曲は下記全54曲に昇ります。
「お久しぶりね」「今さらジロー」など、アイドルを脱皮してからもヒット曲は多く、沢山の人たちに口ずさまれています。
- わたしの城下町
- お祭りの夜
- 雪あかりの町
- 瀬戸の花嫁
- 京のにわか雨
- 漁火恋唄
- 春のおとずれ
- 恋にゆれて
- 十五夜の君
- 恋の雪別れ
- 花のようにひそやかに
- ひとり囃子
- 冬の駅
- 黄昏の街
- ひと雨くれば
- 花車
- 桜前線
- 恋岬
- 夾竹桃は赤い花
- 逢いたくて北国へ
- 思い出にだかれて
- 星の砂
- 湖の祈り
- ひとり歩き
- 夢追い列車
- 泣きぬれてひとり旅
- 雨…
- スペインの雨
- 恋ごころ
- 来夢来人
- 螢火
- ジョーク
- 南風
- たそがれラブコール
- みだれ髪
- 通りゃんせ帰りゃんせ
- お久しぶりね
- 今さらジロー
- 乾杯!
- 乱
- 背中でちょっとI LOVE YOU
- 泣かないから
- LEATHERY
- だらしがないね
- はずかしがらずに男たちよ
- 誰でもいいはずないじゃない
- 涙が迎えに来てるから
- 夜明けの伝言/「小柳ルミ子&高山厳」名義
- 鳩
- 千年の恋
- だから京都
- いい気になるなよ
- TEN ZILLION~100億の幸福に包まれて~「rumico」名義
- お久しぶりね~rockin' rumico mix~「rumico meets a million bamboo」名義
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